2017年6月22日木曜日

アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ モフセン・マフマルバフ

2001年版。

その時点のものという話で読んでもらいたいが、最近はどうなんだろう。
キャッチアップするような本も読まないと。

◆統計によれば、アフガニスタンの土地で農業と生活ができるようになるまでには、おそらく今後50年間、毎日アフガニスタンの人びとは群れをなして地雷を踏まなければならない
◆激しい雨が降ると、地表を流れる水は地雷の位置を変え、数時間前まで安全だった道を再び危険にしてしまう

◆ついに私は、仏像は、誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は、恥辱のために崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人びとに対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ

◆アフガン人は、自分の母国を離れ、他者に軽蔑と哀れみをこめてアフガン人と呼ばれない限り、自分をアフガン人だと認識することはない。
◆医者が街から来た時、まず重病患者を診察し、その後でより軽い病人を診察するということを、キャンプは認めなかった。唯一認められる秩序とは、部族の秩序だった

◆国土の75%が山岳地帯で、農業開発に適した土地はわずか7%だけ、いかなる種類の工業もないアフガニスタンは、唯一の安定した経済・自然の可能性が牧草地であるという理由で牧畜システムに依存している。この牧畜が部族主義を作り出す基盤であり、そしてこの部族主義が深い内部対立を生み出す根なのだ
◆アフガニスタンは、世界で物々交換しようにも麻薬以外のものがなく、袋小路のように行きづまり、現代世界で孤立してしまった。もしも250年前、アフガニスタンがイランから独立していなかったら、多くの石油収入の分け前を利用することで別の運命を手にしていたはずだ
◆アヘン栽培の5億ドルで、2000万人もいる一国の民が皆働けるなどという計算はできない。だからアフガニスタンの人びととアヘン密輸を結びつけるのは非現実的であり、それですべてが説明できるわけでもない

◆戦いが終わり、もう誰にも攻撃が仕掛けられないと信じられるようになれば、経済状態はゼロ以下になり、雇用の可能性が失われて、今アフガニスタンにいる全てのムジャーヒディーン(ジハードを遂行するもの、戦士)もまた、他国へ逃れるアフガン難民の群れに加わることになるだろう
◆アフガンの人びとは、どうやって暮らしているのか?イランの建設現場で日雇い労働をするか、アフガンのの党派抗争に加わるか、ターリバーンの神学校の学生になるかだ。2500以上のターリバーンの神学校が、飢えたアフガン人の孤児を引きつけている
◆国連によれば、これから数ヶ月間のうちに、100万人が死ぬのではないかと予測されている。これは戦争による大量死ではない。干魃による貧困と飢饉のゆえだ

◆世界の不法アヘンの90%が二カ国でで生産されており、その一つがアフガニスタンである。世界のヘロインの80%がアフガニスタンで生産され、世界のあらゆる種類の麻薬の50%がアフガニスタン製である
◆アフガニスタンは世界の麻薬の圧倒的な量の生産国でありながら、5億ドルほどの取るに足りない富しか得ていないが、アフガニスタン産の麻薬の取引額は800億ドルになる

◆イラン人の密輸人が買った密輸品の金を期日までに払わなかった場合、その金を払わせるために、当人かその家族の1人が誘拐される
◆密輸人は国境からテヘランまで彼らを運ぶ代償に、1人100万リアル以上を要求する。アフガン難民は99%こんな金は持っていない。そこで、13、4歳の少女ひとりふたりが密輸人によって担保となる。彼らが職を得ることができれば、幼い少女たちを担保から取り戻す。しかし、この金が準備できることは稀である

◆アフガン難民に計画的な対応をしたことがまるでないイランとは違い、パキスタンは、アフガン人たちを養い教育し、ターリバーンという傀儡政権をアフガニスタンに作り上げた
◆パキスタンがインドから独立する前、アフガニスタンはインドと国境を接しており、パシュトゥニスタンをめぐって、アフガニスタンとインドの間には深刻な対立があった
◆パキスタンがインドから一つの国として独立し、そのパシュトゥニスタンの半分は、パキスタンの半部となった。カシミールをインドから分割して併合しようと考えているパキスタンが、国土の半分をアフガニスタンに返還しようとするはずがない
◆パキスタンに育てられたターリバーンが、自分たちを創ったパキスタンに対して、もはやパシュトゥニスタンの返還を主張しないのは当たり前だ
◆ソ連崩壊とともに、パキスタンも西側世界にとっての戦略的な重要性を失った。パキスタンもまた、雇用危機に直面したのだ
◆ターリバーンは、つねにその表面的な顔である原理主義を非難される。しかし、なぜ彼らが出現したのか、その理由はほとんど取り上げられない

◆子供を大勢作らないヨーロッパ系のアメリカ移民とは反対に、アジア系、アフリカ系の移民は絶えず子供を作る。アメリカ人のアイデンティティは、ヨーロッパ的からアジア・アフリカ的に変わっていくだろう。その結果、アメリカ人の国家としてのアイデンティティをめぐって、ヨーロッパ文明とアジア・アフリカ文明の衝突が予測される
◆もしアフガニスタンに、より民主的な、また経済的により発展した隣人がいて、彼らがアフガニスタンを自国の機会と見なしていたら、アフガニスタンの状況は今よりずっと良くなっていただろう

◆仏陀の清貧と安寧の哲学は、パンを求める国民の前に恥じ入り、力つき、砕け散った。仏陀は世界に、このすべての貧困、無知、抑圧、大量死を伝えるために崩れ落ちた。しかし、だじょう怠惰な人類は、仏像が崩れたということしか耳に入らない。
◆こんな中国のことわざがある。「あなたが月を指差せば、愚か者はその指を見ている」誰も、崩れた仏像が指差していた、死に瀕している国民を見なかった
◆アフガニスタンには、ターリバーンの手によって福祉を実現するだけの経済的な底力がない。しかし、ターリバーンは国民の第一の要求である治安の実現に応えることができた唯一の政府である
◆安全が保証されず飢えた国の民は、自由や発展よりも、治安と飢えないことを求めているのだ
◆アフガニスタンには、クウェートとは違って、石油もそれによる余剰収入もない。仕事を待ち望むアメリカ軍にその費用を払うことができない

◆東洋では、自分の指導者に、現代的な学識、専門的知識、内政・国際政治についての見識などを誰も求めたりしないのだ。支配者が多少とも市井の人のようであれば、それだけで人々の指示を得るには十分なのだ
◆ターリバーンの登場とともに、女子学校は閉校となり、女性が通りに出ることさえも許されなくなって久しい。しかしもっと酷いことは、ターリバーンがやってくる以前でさえ、読み書きができる女性は20人に1人だったことだ

◆アフガニスタンの文化はターリバーン支配の結果なのか、あるいはターリバーン支配の原因だったのか
◆ターリバーンがブルカを持ってきたのか、ブルカがターリバーンを呼んだのか。政治の影響で文化が変わるのか、文化が政治を変えるのか

◆ほとんどの場合、暴力の方法に対する非難であって、暴力そのものに対する非難ではない。今日の世界は、世界が不公正であることの結果として100万人のアフガン人が餓死しても、内戦とソ連との戦いで10%のアフガン人が殺されても、それを暴力とは呼ばない。
◆近代的な西側諸国でアフガン人の暴力性として批判されているのは、暴力の形式であって、その本質ではない




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